第16章「咲の成長」

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野々宮咲の翻訳収入が、月に10万円を超えた頃。咲は、勇気を出して、夫・智也に報告することにした。夕食後、智也がソファでテレビを見ている時、咲は家計簿を持って、隣に座った。「ねえ、智也。私、最近、翻訳の仕事を始めたの」智也は、テレビから目を離さずに答えた。「へえ、そうなの」「今月、10万円稼げたのよ」その言葉に、智也は、ようやくテレビから目を離し、咲を見た。「……10万? 本当か?」「ええ。毎日、夜中まで働いて」

智也は、しばらく黙っていた。そして、ぽつりと言った。「……すごいな、お前」その一言が、咲の心を、温かく満たした。智也は、少しだけ、咲を見る目が変わった。「なあ、咲。俺、今まで、お前のこと、ちゃんと見てなかったかもしれない」「え……?」「お前、すごいよ。家事も育児もやりながら、仕事もして」智也は、照れくさそうに頭を掻いた。「俺も、少しは手伝うよ。皿洗いくらいなら」その言葉に、咲は、涙が溢れそうになった。「ありがとう、智也」

それから、智也は、少しずつだが、家事を手伝うようになった。最初は、皿洗いだけだった。でも、次第に、洗濯物を干したり、子供たちの宿題を見たりするようになった。咲は、その変化に、驚いていた。「関係」は、本当に変えられるのだ。小さな石を、一つずつ置いていけば。咲の翻訳の仕事は、順調に増えていった。月の収入は、12万円、15万円と増えていった。クライアントからの評価も高く、リピート依頼も増えた。

ある日、咲は、大きな依頼を受けた。フランスの歴史小説の翻訳。報酬は、10万円。だが、納期は一ヶ月。咲は、迷った。できるだろうか。でも、これは、チャンスだ。咲は、依頼を受けることにした。それから一ヶ月、咲は、毎日、深夜まで翻訳作業に没頭した。三人の息子たちを寝かしつけた後、姑が寝た後、夫が寝室に入った後。咲は、一人、リビングのダイニングテーブルで、パソコンに向かった。

時には、眠気に襲われた。時には、訳せない箇所に悩んだ。でも、咲は、諦めなかった。栞に相談し、凛子と麗奈に励まされ、そして、自分自身を信じて、進み続けた。一ヶ月後、咲は、翻訳を完成させた。クライアントからの評価は、★5つ。『素晴らしい翻訳でした。ぜひ、次回作もお願いしたいです』そのコメントを見た瞬間、咲は、達成感に包まれた。私は、やり遂げた。自分の力で。

咲は、その報酬10万円を、通帳に振り込んだ。そして、その通帳を、じっと見つめた。今月の収入は、合計25万円。これは、もう、「お小遣い稼ぎ」ではない。立派な「仕事」だ。咲は、その夜、家族に、正式に報告することにした。夕食の時間。咲は、家計簿を開き、智也と、姑の千代子に見せた。「実は、私、この三ヶ月、翻訳の仕事をしていました。今月の収入は、25万円です」

智也は、目を見開いた。千代子も、驚いた表情を浮かべた。「25万……咲さん、それは本当ですか?」千代子が尋ねた。「はい。こちらが、取引先からの評価と、入金記録です」咲は、パソコンの画面を見せた。千代子は、しばらく画面を見つめた後、静かに言った。「……咲さん。あなたは、本当に、立派な方ですね。私、今まで、失礼なことを言っていたかもしれません」その言葉に、咲は、驚いた。千代子が、謝るなんて。

「いえ、お義母様。私こそ、ご心配をおかけして……」「いいえ。あなたは、この家の誇りです」千代子は、優しく微笑んだ。その夜、智也が、咲に言った。「なあ、咲。お前、最近、綺麗になったな」その言葉に、咲は、顔を赤らめた。「そ、そう?」「ああ。なんていうか、生き生きしてる」智也は、咲の手を、ぎこちなく握った。咲は、その手を、握り返した。

その夜。智也が、咲に言った。「なあ、咲。今夜、久しぶりに……」その言葉の意味を、咲は理解した。咲は、少しだけ恥ずかしそうに、頷いた。その夜、二人は、久しぶりに、夫婦として触れ合った。それは、義務ではなく、確かな愛情だった。翌朝、咲は、穏やかな気持ちで目覚めた。智也が、隣で眠っている。咲は、そっと智也の手を握った。(私たち、変われたのね)咲は、自分が翻訳の仕事を始めたことで、夫婦の「関係」が、確実に変わったことを実感していた。「母親」から「パートナー」へ。その変化は、夫婦の親密さにも、良い影響を与えていた。

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