神崎麗奈は、娘たちとの時間を大切にし始めていた。インスタグラムの投稿を減らし、スマホを置いて、娘たちと向き合う時間を増やした。だが、その変化は、夫・洋平には、全く伝わっていなかった。ある夜、洋平が、冷たい声で言った。「麗奈、最近、インスタの更新、減ってるな」「ええ。娘たちと過ごす時間を増やしたくて」「それはいいが、フォロワー、減ってるぞ。クリニックのブランディングに影響が出る」その言葉が、麗奈の胸に、冷たい刃のように突き刺さった。
夫にとって、私は、やはり「道具」なのだ。愛する妻ではなく、クリニックの看板。麗奈は、怒りと、悲しみと、そして、虚しさに、心が引き裂かれそうになった。その夜、麗奈は、衝動的に、昔の知人にメッセージを送っていた。工藤。モデル時代に知り合った、カメラマンだ。『お久しぶりです。突然ですが、相談したいことがあって……』返信は、すぐに来た。『麗奈! 久しぶりだな。いいよ、いつでも。スタジオに来る?』
麗奈は、その文字を見つめた。(何をしているの、私)理性が、警告を発する。だが、心は、叫んでいた。誰かに、「女」として見られたい。「院長夫人」でも、「カリスマ主婦」でもなく、ただの「女」として。麗奈は、震える指で、返信を打った。『明日、行きます』翌日、麗奈は、工藤のスタジオを訪れた。「久しぶりだな、麗奈。相変わらず、綺麗だ」工藤は、カメラを片手に、麗奈を見つめた。「……ありがとう」麗奈は、その視線に、久しぶりに「女」として見られている実感を覚えた。
「で、相談って?」「その……私、最近、自分が何をしているのか、分からなくなって」麗奈は、正直に話した。夫に道具として扱われていること。インスタグラムの数字に縛られていること。本当の自分が、どこにいるのか、分からないこと。工藤は、静かに聞いていた。「……麗奈、撮らせてくれよ」「え?」「今の君を。その、迷っている、不安な、でも、確かに生きている、今の君を」工藤は、カメラを構えた。
麗奈は、戸惑った。だが、同時に、心の奥底で、何かが疼いた。(撮られたい)誰かに、今の私を、見てほしい。認めてほしい。麗奈は、小さく頷いた。工藤のシャッターが、切られ始めた。カシャ、カシャ、という音が、スタジオに響く。麗奈は、レンズを見つめた。そこには、計算された笑顔も、完璧な構図もない。ただ、素の自分がいた。撮影が終わり、工藤がモニターを見せてくれた。そこには、麗奈が今まで見たことのない、自分の顔があった。疲れていて、迷っていて、でも、確かに「生きている」顔。
「……これが、私?」「ああ。これが、本当の君だ」工藤の言葉が、麗奈の胸に、静かに響いた。「麗奈、この写真、匿名でネットにアップしていいか? お前の美しさを、もっと多くの人に見てほしい」「え……でも、顔は映ってないし……」「ああ、大丈夫。匿名だから」麗奈は、迷った。だが、心のどこかで、「見られたい」という欲望が、抑えられなかった。「……いいわ」
その夜、工藤は、麗奈の写真を、ネットにアップした。反応は、爆発的だった。『美しい』『もっと見たい』『これ、誰?』コメントが、次々と寄せられる。麗奈は、その数字を見て、恍惚とした。これこそが、私が求めていたもの。この、純粋な承認。だが、数日後。夫・洋平が、麗奈に、冷たい目を向けた。「麗奈、これ、お前か?」洋平のスマホには、あの写真が映っていた。
「ち、違うわ!」「嘘をつくな。この傷、お前の肩にあるやつだろ」麗奈は、言葉を失った。洋平は、スマホを叩きつけた。「お前、何やってるんだ! クリニックの看板が、こんなことしてたら、終わりだぞ!」麗奈は、震えた。洋平は、麗奈を見下ろし、冷たく言い放った。「お前とは、もう、一緒にいられない。別居する。娘たちは、お前が育ててくれ。養育費は払う」その言葉が、麗奈の心を、粉々に砕いた。麗奈は、自分が何をしてしまったのか、ようやく理解した。夫との関係は、決定的に壊れた。すべて、自分の浅はかさのせいだ。麗奈は、床に座り込み、泣き崩れた。

