『Re:bloom〜完璧な妻をやめた私たちへ〜』

短編小説【完璧な妻が壊れた夜に】
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序章|30代40代女性の生き方と夫婦関係の修復

序章「仮面舞踏会の終わり」

札幌、円山。冬の深夜、音もなく降り積もる雪が、この街のすべての音を吸い込んでいた。

タワーマンション三十八階のリビングで、高村凛子は立ち尽くしていた。床から天井まで続く巨大なガラス窓の向こうに、札幌の夜景が宝石箱のように広がっている。

かつては、この景色を「手に入れた成功の証」だと思っていた。でも今夜、その無数の光は、自分とは何の関係もない、遠い銀河の星々のように見えた。

「……凛子」

背後から、夫・誠の声がした。いつもの冷静な声ではなく、どこか震えている。怒りか、困惑か、それとも哀しみか。凛子は振り返らなかった。ただ、自分の手のひらを見つめた。

この手で、私は何を掴んできたのだろう。 完璧な家、完璧な夫婦、完璧な生活。でも、その「完璧」の中に、本当の私はいなかった。

「なあ、凛子。俺たち、いつからこうなったんだ」 誠の声が近づいてくる。 「いつから、こんなに……冷たくなったんだ」

凛子は、ゆっくりと息を吐いた。答えは、分かっていた。最初から、だ。私たちは、最初から「完璧な夫婦」を演じることに必死で、本当に触れ合うことなど、一度もなかったのだから。

窓ガラスに映る自分の姿を見つめる。そこには、四十歳の女性が立っている。美しく整えられた髪、上質なワンピース、完璧なメイク。 でも、その瞳は、どこか虚ろだった。


同じ頃、数階下の部屋で、神崎麗奈は、スマートフォンの画面を見つめたまま、動けずにいた。

画面には、彼女自身が運営するインスタグラムアカウント『Reina_Life』が表示されている。

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数字。無数の数字が、彼女の人生を証明していた。でも、今夜、麗奈は気づいてしまった。この数字は、誰一人として「本当の私」を見ていない。みんなが見ているのは、「完璧な主婦」という虚像だ。

「ママ……」

寝室から、小学六年生の長女・美咲の声が聞こえた。 「ママ、最近、怖いよ……」

その一言が、麗奈の心臓を貫いた。 怖い? 私が? 麗奈は、鏡の中の自分を見つめた。完璧にセットされた髪、プロ級のメイク、計算され尽くされた笑顔。でも、娘には、それが「怖い」と映っていたのだ。

麗奈の手が、震えた。いつから、私は、娘を怖がらせる存在になってしまったのだろう。


そして、円山から少し離れた住宅街。野々宮咲は、深夜のダイニングテーブルで、一人、膝を抱えていた。

三人の息子たちは眠り、夫も寝室で規則正しい寝息を立てている。この静寂の中で、咲は、初めて自分の声を聞いた。

「……私は、誰?」

妻? 母? 嫁? そのどれでもあり、そのどれでもない。役割の名前はたくさんあるのに、「野々宮咲」という個人は、どこにもいない。

咲は、自分の手を見つめた。荒れた指先、ささくれ、乾燥したひび割れ。この手は、毎日、家族のために働き続けている。でも、この手で、私自身を抱きしめたことが、あっただろうか。


三人の女性。それぞれが、別々の場所で、同じ問いに向き合っていた。 「私は、このままでいいのだろうか」

完璧な妻。カリスマ主婦。献身的な母。社会が求める「正しい女性像」を、彼女たちは完璧に演じてきた。でも、その仮面の下で、本当の自分は、音もなく窒息していた。

凛子は、窓の外の雪を見つめた。一片一片の雪が、街灯に照らされて、きらきらと輝いている。あの雪は、どこから来て、どこへ行くのだろう。自由に、風に任せて、舞っている。 (私も、あんな風に、自由に呼吸できたら。)

麗奈は、スマホの画面を閉じた。画面が消えた瞬間、部屋は真っ暗になった。その暗闇の中で、麗奈は、自分の呼吸の音だけを聞いた。 (これが、私の本当の音。誰にも見せない、裸の私。)

咲は、深く、深く、息を吸い込んだ。冷たい空気が、肺の奥まで入ってくる。痛いくらいに、冷たい。 (でも、これが、生きているということなのだ。)

そして、三人は、まだ知らなかった。 この冬が終わる頃、彼女たちの人生は、決定的に変わるということを。

それは、破滅への転落ではなく、再生への、長く、痛みを伴う、しかし確かな一歩になるということを。

物語は、ここから始まる。 完璧な仮面を脱ぎ捨て、素顔で呼吸することを選んだ、三人の女性たちの、再生の記録。

彼女たちは、これから、失うものもあるだろう。傷つくこともあるだろう。でも、その先に、本当の自分との出会いが待っている。

その出会いこそが、人生で最も美しい瞬間になるのだと、三人は、まだ知らない。

第1章「磨かれた檻」へ続く

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