それから一週間後。雨宮栞から、三人に同時にメッセージが届いた。『もしよろしければ、今週末、またサロンにいらっしゃいませんか。今度は、読書会ではなく、ただのお茶会です』三人は、それぞれの場所で、そのメッセージを見つめた。凛子は、夫との冷戦が続く中、この誘いが、一筋の光のように思えた。麗奈は、娘たちとの時間を大切にし始めていたが、大人の女性としての会話に、飢えていた。咲は、姑の視線を気にしながらも、あの「自分のための時間」を、もう一度味わいたいと思った。
週末。三人は、再び栞の部屋に集まった。今回は、前回のような緊張感はなかった。三人は、それぞれが抱える「その後」を、静かに語り始めた。凛子が、夫に自分の言葉を伝えたこと。そして、その後の冷たい沈黙について。麗奈が、インスタグラムの投稿を減らし、娘たちと過ごす時間を増やしたこと。そして、フォロワー数が減っていく不安について。咲が、料理に工夫を凝らして、夫から「うまい」と言われたこと。そして、それでも、まだ大きな変化は感じられないこと。
栞は、静かに三人の話を聞いていた。そして、全員が話し終えた後、栞は、ゆっくりと口を開いた。「皆さん、本当によく頑張っておられますね」その言葉に、三人は、少しだけ肩の力が抜けた。「でも、まだ、道は始まったばかりです。これから、もっと辛いことも、悲しいことも、あるかもしれません」栞は、三人を見渡した。「だからこそ、私は、皆さんに、一つだけお願いがあるんです」「お願い……ですか?」凛子が尋ねた。「ええ。それは、『一人で抱え込まない』こと」
栞は、温かい目で三人を見つめた。「皆さんは、今まで、ずっと一人で戦ってこられました。完璧な妻として、完璧な母として。でも、これからは、違います。皆さんには、仲間がいます」栞は、自分の胸に手を当てた。「私も、かつて、皆さんと同じ場所にいました。完璧な妻を演じて、心が壊れかけた時期が、ありました」三人は、息をのんだ。「でも、私は、幸運にも、助けてくれる人たちに出会えました。そして、長い時間をかけて、自分を取り戻すことができた」
栞は、窓の外の景色を見つめた。「私が、このサロンを開いているのは、かつての私のように、苦しんでいる女性たちに、同じ道を歩んでほしくないから。そして、もし歩むとしても、一人ではなく、仲間と一緒に歩んでほしいから」栞は、三人に微笑みかけた。「だから、辛い時は、ここに来てください。話してください。泣いてもいい。怒ってもいい。ここは、皆さんのサンクチュアリです」その言葉が、三人の心に、深く、深く、染み込んでいった。
凛子は、静かに尋ねた。「栞さん。あなたは、どうやって、自分を取り戻したんですか?」栞は、少しだけ遠い目をした。「長い時間がかかりました。離婚して、一人になって、最初の一年は、ただ、生きているだけで精一杯でした。でも、ある日、気づいたんです。私は、誰かの妻であることをやめた。でも、それは同時に、私自身になるチャンスでもあるのだ、と」栞は、三人を見つめた。「皆さんには、私のような遠回りをしてほしくない。だから、今、ここで、仲間と一緒に、少しずつ、自分を取り戻してほしいんです」
麗奈が、涙声で言った。「でも……怖いんです。変わることが。このまま、完璧な主婦を演じ続けていた方が、安全なんじゃないかって」栞は、優しく微笑んだ。「安全ですよね。でも、麗奈さん。それは、生きていることになるのでしょうか」その問いに、麗奈は答えられなかった。咲が、小さな声で言った。「私……フランス語の翻訳の仕事を、始めてみようと思っているんです。でも、できるか、自信がなくて……」
栞の目が、輝いた。「素晴らしい! 咲さん、それは、とても勇気のいる決断ですね」「でも……夫や、お義母様が、何と言うか……」「咲さん。誰かの許可を待っていたら、一生、始められませんよ。まず、やってみる。そして、結果を見せる。それが、一番確実な方法です」栞の言葉が、咲の背中を、力強く押した。三人は、それぞれが、栞という存在に、どれだけ救われているか、改めて実感していた。この部屋は、本当に、サンクチュアリだった。

